『顔を創る』

1:はじめに

情報過多といえる現代。入れ歯やインプラント等、歯を失った後の治療法について、ちょっとネット検索すれば沢山の情報が得られます。しかし、ネット情報って玉石混淆、何を信じていいのか迷ってしまいますよね。

また、正しい情報でも、受け手の価値観によって、「玉」にもなれば「石」にもなります。
しかし、どうにもならない「石ころ情報」も世間には溢れています。

このコーナーでは、「入れ歯解体新書」と題して入れ歯を通し、歯科治療全般や技工についての私の経験や考え方を綴っていきたいと思います。
私は、開業以来、常に技工を自分で行って来ました。その経験から言うと、歯科治療というものは、入れ歯や冠だけでなく、歯周病治療や根管治療にも技工の技術が必要です。

チーム医療の名の下、歯科医師本来の仕事を歯科技工士、歯科衛生士に分散してきました。それが常識となっています。
うまく分業し、効率良く歯科臨床を進める為には必要な事でしょう。
しかし、決して歯の保存、長持ち治療に繋がっているとは言えないようです。
数ある治療法の中でも特に「総義歯」にフォーカスしながら、歯科医療の何たるかを考えて行きます。
アチコチ寄り道することもあろうかと思いますが、しばしお付き合い下さい。

2:「顔を創る」

歯学部の学生時代、専門過程に入ると「総義歯学」という授業と実習が始まります。

総義歯学の講義は、二次元平面の教科書の上で、総義歯患者さんの状況と総義歯作りの理論を学びます。

数ある歯科治療の中でも、最も三次元的に複雑で難しい総義歯治療を、全くの歯科素人の学生が紙の上で勉強するわけです。
はじめは全く理解できません。

歯科医の家庭で育った同級生達と違い、繊維関係の極小町工場の息子である私にとって、総義歯患者さんは理解を超えた存在でした。

私が知る身近な総義歯患者さんは祖母だけでした。と言っても、その記憶は、食事の後、ご飯茶碗にお茶をいっぱいに満たしたと思ったら、おもむろに上下の総義歯を外してジャブジャブと洗う姿だけです。

初めて学ぶ総義歯学は、座学ではチンプンカンプンでしたが、実習が始まると俄然面白いものとなってきました。
歯並びや噛みあわせ、口元の雰囲気等すべての基準を失った患者さんの「顔」をゼロから創り上げる作業に興味を持ちました。
祖母の普段の顔と義歯を外した顔の格差が潜在意識に残っていたのでしょう。
総義歯学とは「顔を創る」学問だと感じました。

私の祖母は、村長婦人として公私ともに毎日多くの人々に会い、話を聞き、時に人前で演説もこなすような「田舎のファーストレディー」でした。

若い頃、小柄で華奢な姿からは想像も出来ないほどの厳しさを漂わせていたそうです。
そんな祖母の顔を保っていたのは、古くからの馴染みの先生が自ら作ってくれた入れ歯ただったのです。
その記憶が私の脳裏の片隅にあったのでしょう。
人の優しさ、厳しさ、威厳、穏やかさ等々の表情を作り、時にその人の性格や人格まで形作ることができる総義歯治療は、今まで知り得なかった新しい学問と感じました。

3:技術と学問

歯学部の臨床実習では、患者さんの診査から診断、治療計画立案、そして実際の治療と技工の作業までの全行程を任されます。
数名の学生が一人のインストラクターについて、治療や技工の仕事を与えられます。
私の担当の先生は、非常におおらかな方で、多くの症例を任せてくれました。
私の拙い技術も、稚拙なアイデアも受け入れてくれて、実に楽しく自由にさせていただきました。
「自分で考えて、自分で手を動かして、結果を考察せよ」というスタンスでした。

そんな中で、今でも忘れることが出来ないケースがあります。

小柄な女性の患者さんでした。
それまで使っていた総義歯は、上下の奥歯がうまく噛み合わないのです。
見た目も非常に不自然でしたし、食事は大変。おしゃべりもままならない状態です。
上下の顎の骨のサイズが大きく異なり、更に、噛み合う位置が前後に大きくずれていたのです。
入れ歯を入れた時の「顔が違う」と訴えておられました。

そこで、文献を調べながら、四苦八苦して入れ歯を設計しました。
寛大な担当教官の計らいで、私の設計通りに治療を進めさせていただきました。
上下の人工の奥歯を噛み合う様に並べると、頬がコケ、しわが深くなり、「顔が違う」となってしまいます。
歯並びや頬の膨らみを優先すると、全く噛み合ない入れ歯になってしまいます。
そこで考えたのが、「ルックスの為の歯並びと噛む機能の為の歯並びを別にする」という作戦でした。
別の症例ですが、下の写真の様な状態です。

症例 症例

今ならば、こんな排列をしなくても、十二分に機能し、且つ、ルックスも整った入れ歯を作る事は可能です。
しかし、25年前の学生の浅知恵では、これが精一杯でした。
患者さんの意見を聞きながら、噛み合わせや歯並びを少しずつ変更、改善していきます。
階段を3段上ったら、2段下がる、と言う感じ。
人工歯を二組使い、機能とルックスの両立を目指した総義歯は、躓きながらも患者さんに受け入れていただきました。

この経験から、歯科治療、特に入れ歯では、数学的な「公式」が成り立たない事に気付きました。「学問」としての理論的裏付けが臨床と「イコールにならない」。
医療には、ある程度の法則性は存在するのものの、物理や化学のような明確な法則や数式はない。
曖昧模糊とした臨床現場では、その中に明確な道を見つけるのが名医の「診たて」。
患者さんを前に、瞬時に頭の中で組み立てた治療法の通りに正確かつスムースに処置していくのが「技術」。
こんな事を感じた出来事でしたが、この経験は現在でも大きく影響しています。